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東出雲まちあるき  歴史・神話コース

東出雲まちあるきマップ  東出雲まちあるきマップ

東出雲まちあるきマップ
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揖屋神社
熊野大社と並ぶ古社で、日本書紀の斉明天里5年の条には、旨麗社(揖夜神社)で起こった不吉な出 来事を崩御の予兆として天皇が憂慮したと記されています。出雲国造と関係の深い嶽学穴牡の一つ で、中世以降尼子・大内・毛利・堀尾氏など、歴代の武将が競って寄進しました。本殿は大社造りで、五色の八雲、極彩色の神事の陸壁画が扉に描かれています。

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大内神社
天文12年中国の一大勢力であった大内義隆は尼子攻めに失敗し、敗退を余儀なくされました。その退却の折、義隆の養子大内晴持は揖屋灘で溺れ死んでしまいました。まだ20歳の若さでした。網元八斗屋惣右衛門はこれを哀れんで社を建て晴持 を祭神としました。

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阿太加夜神社
出雲国風土記に記され、古くは国造家一族にゆか りのある社として祀られ、中世以降も代々出雲国守の崇敬をうけた神社でした。松江城山稲荷神社との間で10年に一度行われる神幸式「ホーランエンヤ」は日本三大船神事として有名です。

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黄金の井戸
天平時代の始めの頃、出雲国司として奈良の都から着任したのが、若き門部王でした。意宇のほとりで望郷の思いを蓉らせ詠んだ歌「妖宇の海の河原の千烏汝が嗚けば 吾が佐保川の念補ほゆらくに」が刻まれています。

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出雲金刀比羅宮
毛利元就が武運を祈って建立したともいわれています。主祭神は大物主命(大黒さま)。髄神門にまつる髄神は座像l.7mもあり、日本五大蘭神といわれています。境内はとても広く、そこからの眺めは中海•島根半島を一望できます。

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黄泉比良坂
イザナキ・イザナミの神話に登場する黄泉比良坂。黄泉の国から逃げかえったイザナキがその出口を千引石(千人力でやっと動くほどの岩)で塞いだとされており、神代の物語を紡彿させる大きな石が青々と茂った木々の中、ひっそりと仔んでいます。また、イザナキが坂本に生えていた桃の実を投げつけ、その呪力により黄泉の軍勢を退散させたことにちなみ、原種の桃オハツモモが植えられています。

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一ッ石
昔、袖師ヶ浦といわれたこの地は揖夜神社と縁深く、祭礼をはじめ神社に奉仕する神官、官主、社人、氏子の禊の処としても最も重要な神域の旧跡であります。毎年8月28日には、一ッ石まで神輿を舟に載せてお運びする一ッ石神幸祭が執り行われています。

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